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室宮山(むろみややま)〔室大墓(むろのおおばか)〕古墳〔御所市室〕
 
室宮山古墳

 奈良県御所(ごせ)市室(むろ)に所在する。墳丘長238mの前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)で、奈良盆地西南部地域(葛城(かずらき)地域)において最大の規模をもつ。
 巨勢山(こせやま)の丘陵上には総数500基を数える群集墳である巨勢山古墳群があり、そのすぐ北側の平坦部に立地する。前方部を西にむけ、前方部北側に方形の張出部をもつ。周濠の痕跡は明瞭ではないが、北側の外堤上に、陪冢(ばいちょう)とされる一辺70mの方墳であるネコ塚古墳がある。ネコ塚古墳の現状は畑地となっている。墳丘の南東部の現状は池となっているが、本来は盾形の周濠がめぐっていたと考えられる。墳丘は、3段築成で、外部施設として葺石(ふきいし)、埴輪列の存在が確認されている。
 後円部墳頂に南北2つの埋葬施設がある。
 南側の埋葬施設は竜山石(たつやまいし)製の長持(ながもち)形石棺を内蔵する竪穴式石室で、激しい盗掘にあっていたが、銅鏡片、滑石(かっせき)製・碧玉(へきぎょく)製の玉類や滑石製模造品、琴柱(ことじ)形石製品などが出土している。
 竪穴式石室の天井石の上面には、直弧文(ちょっこもん)を施した朱彩した方形の柱の上に、鰹魚木(かつおぎ)をのせた入母屋造(いりもやづくり)の屋根をのせた大型家形埴輪(高さ121㎝)と高坏(たかつき)形埴輪が樹立されていた。また、この竪穴式石室を方形に取り囲む埴輪列があり、冑(かぶと)と盾(たて)を組み合わせた埴輪(高さ141㎝)、盾形、靫(ゆぎ)形、草摺(くさずり)形埴輪が表面を外側に向けて配置されていた。さらに、その前面の南側に切妻造(きりづまづくり)や寄棟造(よせむねづくり)の屋根をのせた家形埴輪が合計4棟樹立されていた。これらの形象埴輪は、いずれも実物を忠実に再現した精巧な大型品で、日本の古墳文化を代表する資料である。中心部に配置された大型家形埴輪は、極楽寺(ごくらくじ)ヒビキ遺跡で検出された大型掘立柱建物と同一の構造をもっている。極楽寺ヒビキ遺跡は、古墳の南西方向にある大規模集落遺跡である南郷(なんごう)遺跡群のなかに含まれるが、この建物は当時の首長が政治をおこなった「高殿(たかどの)」(楼閣のように高くつくった建物)にあたる。実際の政治をおこなった場所が埴輪として表現されたことがわかる貴重な例である。
 北側の埋葬施設の発掘調査は実施されていないが、竪穴式石室の天井石が露出している。また、朝鮮半島南部の伽耶(かや)地域で生産された船形や高坏(たかつき)形の陶質(とうしつ)土器の破片が採集されている。本来は石室内に副葬されていたものであると考えられる。
 前方部にも2基の埋葬施設があり、11面の銅鏡や170点以上の玉類などが出土したという記録が残っている。現在は所在不明となっている。また、ここからは木棺材が出土していて、それは当博物館で展示している。さらに、前方部の張出し部の頂部においても埋葬施設の粘土槨(ねんどかく)が検出されており、漆塗(うるしぬり)製品、鉄刀、甲(よろい)片、鉄鏃などが出土している。
 古墳の築造年代は、中期初頭(5世紀初頭)である。大王墳に匹敵する規模・内容をもつ。葛城(かずらき)地域における支配者層の墳墓として、歴史上極めて重要である。

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